2020/3/25
日本貨幣史① 富本銭から皇朝十二銭
Q.日本史で登場する日本で最初の発行貨幣とされてるものといえば…?
A.無文銀銭
これ山川の日本史用語集どころかどの歴史の教科書にも載ってない
それはそうで、あくまで私鋳銭。公的な貨幣ではなかったからです。
Q.歴史の教科書で書かれている、日本で最初の流通貨幣とされている最古の貨幣は…?
A.富本銭
ふほんせんと読みます
7世紀末につくられた銅貨です。
飛鳥池遺跡から見つかり同時に「天皇」と墨書された木簡も見つかりました。
但し流通は限定的で、厭勝銭(えんしょうせん・ようしょうせん)として呪い目的で使われた可能性もある説が2つにわかれている貨幣です。
では、和同開珎とは何ぞや?
和同開珎は富本銭より広範囲で流通した貨幣
和同開珎、708年武蔵野国秩父郡から天然の銅が献上されたことを記念して作られた経緯があります。
この時元号も改元→「和銅」(銅の漢字が違うことに注意)
ちなみに和同開珎、銅だけではなく銀の貨幣もあります。
しかも発行されたのは銀銭が最初
銀銭が最初に発行された経緯としては、無文銀銭が流通していたのを公銭である和同銀銭に切り替えたかったと思われます。
しかしながら、銀銭の方は翌年8月に廃止されました。
和同開珎読み方にも2種類の説があります
1つは、「わどうかいほう」2つめは、「わどうかいちん」
どっちでもいいと思います。
この和同開珎どこまで流通したのかっていう問題
なかなか苦労したことが当時の法令でわかっています
711年蓄銭叙位令→貨幣の流通を図るため、蓄銭量に応じて位階を授けることを定めた法令
流通を活発にしたいのに貯蓄を勧める意味の分からない法律でした
実際のトコどこまで実施されたかわかってない謎法律です
800年に廃止されました
和同開珎の価値
1枚=1文
1文は米2kgを買えた値段
成人1日の労働力でした(1人工=1文)
その後私鋳銭の横行などにより貨幣価値が下落
インフレーションを招く形となりました
和同開珎以下12種類の銅銭を鋳造しました
これらは皇朝(本朝)十二銭と呼ばれてます
発行するたびに通貨単位を切り下げるデノミを行いました
理由としては、通貨価値の下落(前述のインフレ)・新しい通貨の価値を上げる等複数ありました
→朝廷の経済政策の失敗
その後11世紀には貨幣使用の記録はなくなり、物品貨幣経済(米・絹・家畜)に戻り
中国から輸入された[宋銭、元銭、明銭→渡来銭] などが流通
⇒宋(960~1279年)
⇒元(1279~1368年)
⇒明(1368~1644年)洪武通宝・永楽通宝・宣徳通宝
ちなみに…日本で銅銭の公鋳再開は1608年の慶長通宝(異説あり)までありませんでした。